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2017-11-18

熊本へのテキスト

2016年に熊本地震を受けた熊本からこの夏何人かが視察に来た。そのなかで出会った人たちから熊本へ向けたテキストを少し書いて欲しいとのことで寄稿させていただいた。


東日本大震災で大きなダメージを負った宮城県石巻市、震災直後のそのまちでフリーペーパーVOICEの発行を契機に始まったISHINOMAKI2.0の活動も6年を超えた。震災前の石巻に戻すのではなく、世界で一番面白い街にしていこうという活動は多くの人から賛同を得て、人的なひろがりをみせている。地元の若者や、Uターンで地元に戻って来た者が活動に加わったり、プロジェクトベースで多くの人たちが関わってくれている。

バーや本のスペースなどの拠点の運営、行政との連携による移住や創業支援、復興住宅のコミュニティづくり、映画館のなくなったまちなかで月に一度の映画館づくりなど。一過性の打ち上げ花火ではなく、10年つづく仕組みをなんとか構築しようと当初はやっきになっていたが、幸いなことにあの日から10年後である2021年はもうそこまで見えてきた部分がある。活動の継続は見えてきてはいるけども、まちの未来像はまだまだ不確定なままではあるが。

震災の前より石巻市は中心市街地の経済的な傾きも激しく、中心市街地の商店街は閑散とした状況だった。夕張市が財政破綻して、次は石巻の番だとウワサになっていたとなかば冗談めいて話してくれる人もいた。ほとんど誇張された自虐的な話ではあるけど、震災前のその状況はこの目で見たわけでもないが、ひどくわかると思った。中心市街地の空洞化、漁村の人口減少、都市の高齢化、なぜならそれは私のまちをはじめたくさんの日本のまちが抱える問題でもあるからだ。まちの人からは自虐と同時に震災でいろいろなものを失ったにも関わらず前向きに何かを変えてやろうと願うエネルギーを肌で感じた。そんな話を聞かされながら、いつの間にか自分もこの地をフィールドにして色々なことに挑戦してみたいと思うようになっていた。

ISHINOMAKI2.0が運営しているIRORI石巻というスペースがある。まちのロビーとして開設したカフェやホール、シェアオフィスをもつ複合施設だ。そのカフェスペースの棚に「城主証」がある。2016年に熊本地震が発生した際に、カフェのお客さんたちやスタッフで集めた募金を熊本城の再建のために寄付をした。そのお礼の品だ。誰が言いだすわけでもなく当然のように寄付の行動はおこった。もはや困っている人がいたら日本中助けに行くし、行けなくても何か行動に起こさないと気が済まない人たちに変化している。石巻で知り合った何人かの人も熊本に行ってボランティアに就いていた。

自然災害はいまこの瞬間もどこかでおきていて、その度に復興という大旗が振られまちは元通りになっていく。そんな大きな大義とは別に、個々人のなかでは何かを変えてやろう、もっとよくしてやろうポジティブな変化がおこったはずだ。結局のところそういった人の活動が人を引き寄せ、これまでよりもよりよいまちに変わっていくのだと思っている。いろいろなことが風化していくなかで災害の教訓とともに、その熱気のようなものも同時に忘れないでいて欲しいし、とにかく自分でも忘れまいと思っている。

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